”定年後の賃金引き下げについて” その② 弁護士 齋藤 拓
(その①の続きです!)
3 長澤運輸事件最高裁判決
1 長澤運輸事件とは
6月1日に最高裁判所が判断を下した裁判は,
長澤運輸事件と呼ばれる著名な事件です。
運輸業を営む会社でトラックの運転手として定年まで勤務した労働者が,
継続雇用制度に基づき定年退職後も会社との間で有期労働契約を締結し,
嘱託社員として再雇用されました。
しかし,仕事内容が変わらないにもかかわらず,
定年前と定年後で賃金が約2割引き下げられたことは,
期間の定めのない正社員との間の不合理な賃金の格差であり,
労働契約法第20条に違反するとして,
正社員と同一の賃金が支払われるべきであると訴えた裁判です。
2 東京地裁平成28年5月13日判決
長澤運輸事件第一審判決では,
我が国の企業一般において,
職務の内容等が全く変わらないまま賃金だけを引き下げることが広く行われているとか,
そのような慣行が社会通念上も相当なものとして広く受け入れられているといった
事実を認めるべき証拠はないことなどを理由に,
正社員と嘱託社員との間の賃金の差異は労働契約法第20条に違反すると判断しました。
3 東京高裁平成28年11月2日判決
これに対し,控訴審判決では,
定年後に有期労働契約を締結した労働者の賃金が引き下げられることは通例であり,
会社の属する運輸業界においては,継続雇用者の年間給与は,
定年到達時の年間給与水準の約3割引き下げられているところ,
長澤運輸株式会社においては約2割の減額になっているにすぎないこと
などを理由に,正社員との間の賃金の差異は不合理とはいえず,
労働契約法第20条に違反するとは認められないとして,労働者側が逆転敗訴しました。
4 最高裁平成30年6月1日判決
このように,地方裁判所と高等裁判所で判断が分かれていたこともあり,
最高裁判所の判断が注目されていたところ,最高裁判所は,
賃金項目が複数ある場合には,項目ごとにこれらが支給される趣旨が異なることから,
賃金の差異が不合理かどうかについては,賃金の総額を比較することのみによるのではなく,
その賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきであるとの基準を示しました。
その上で,能率給・職務給,手当て(精勤手当,住宅手当,家族手当,役付手当,
超勤手当及び賞与)についてそれぞれの趣旨を検討し,結論として,
定年の前後で精勤手当について差異を設けることは,
同手当は欠かさぬ出勤を奨励する趣旨を持つものであり,
正社員と職務内容が同一である以上,皆勤を奨励する必要性に相違はなく
不合理であると判断しました(なお,精勤手当が計算の基礎に含まれる
超過手当(時間外労働手当)も同様としました。)。
一方,それ以外の賃金項目については,
それぞれの趣旨から,差異を設けることは不合理ではないと判断しました。
4 企業が定年後の賃金引下げに関して注意すべき点
最高裁判所が示した判断によれば,
基本給等の全体の賃金水準の引下げについては,
各業界における標準的な下げ幅といえる範囲内であれば,
容認される公算が高まったといえます。
しかし,手当てについて定年の前後でその支給に差を設ける場合には,
それぞれの手当てを支給する趣旨・目的の観点から,
その差異が合理的といえるかどうかが厳しく審査されることになりました。
ですから,手当ての支給について定年の前後で差を設ける場合には,
これを正当化する合理的な根拠があるといえるかどうか,個別に検討する必要が生じたといえます。
今後働き手不足が深刻になることが予想されるだけに,
定年後の待遇を理由として有能な人材が離職してしまうのであれば,
目先の賃金コストはカットできたとしても,長期的な観点からは,
大きな損失となりかねません。
ですから,最高裁判所が示した判断は,
今後の企業の賃金体系のあり方に問題を提起したと解釈すべきではないでしょうか。